おはようございます!そうすけです。
運営者:そうすけ
愛媛出身の30代のブロガー兼ソフトウェアエンジニア。
フロントエンド・API開発を行っています。
ITエンジニアとしての暮らしやキャリアなどの発信をしています。
趣味はガジェットと植物。
先日6年半勤務した企業を退社し、Uターン就職で帰ってきた愛媛を離れて現在は東京に転職しました。
田舎の企業にしては比較的大きめの企業だったので、業界の中では年収もぼちぼち悪くなかったです。
ではせっかくUターン就職して地元&安定を手に入れたのに、30代前半という年齢でなぜ転職したのか。
そんな20代を地元で過ごした30代のサラリーマンのリアルな思いを書きました。
備忘録もかねて振り返っていきたいと思います。
なぜ愛媛を出ることになったのか
- キャリアの選択肢がなかったから
- 大手食品業界が合わなくなっていったから
- 伸びている都市の方がチャンスがあると思ったから
- 死ぬまでに一度都会に住んでみたかった
キャリアの選択肢がなかったから
業界にもよりますが、理想とするような企業を県内で見つけることができなかったためです。
私は企業の情報システム部から、より専門性を目指すエンジニアになるキャリアを目指しておりました。
食品からITに職種を異動で変えて貰ったのですが、仕事が楽しくなったのと、業界に可能性を感じて、専門職につきたくなりました。
「エンジニア」という言葉でくくられるのですが、業種が結構違いますのでまとめておきます。
- 社内SE
- 主に社内向けのITシステムの開発・運用を担当
- ハードウェアとソフトウェアの両方を扱う
- 社内のIT環境整備・データベース処理が主な業務
- WEBエンジニア
- 外部向けのWebアプリケーション開発が主な業務
- ソフトウェア開発に特化
- 収益を生むプロダクト開発が目的
要はキャリアアップですね。
そんな中で理想とする企業とは、自分の転職の軸を満たしている会社のことを指します。
- ビジネス部門と近い場所でエンジニアとしてスキルを磨く(自社開発)
- 年収同等かそれ以上
- 業界の将来性と興味
- さらにその次のキャリアにつながるか
これを満たす企業が、愛媛県内で自分が探したところ見当たりませんでした。
それもそのはず。
転職市場で色々な人に相談すると、IT企業の求人数は下記のように、田舎と都会では天と地の差があるからです。
東京近郊 >>> 大阪近郊 >>>>>>>>>>>>>>>> 地方主要都市近郊(福岡や札幌等) >>>>>>>>(とてつもなく高い壁)>>>>>>>>>>>>> それ以外
IT企業はリモートワークが発展しているといえど、まだまだ都会が優勢であり、求人には圧倒的な差があります。
となると、愛媛県内では現職が一番ベストな選択となり、技術的にも経済的にも、これ以上ITエンジニアとしてキャリアアップを目指す道が社内にありませんでした。
あくまで食品業界のITエンジニアだから、キャリアアップの道は年を取って昇給した後マネージャーになる道しか残ってない…😂
終身雇用が崩壊している世の中で、転職前提でキャリアを作っていきたいと考えている私には、転職しやすい30代前半のまだ若いと言えるうちに地元を出る方が、長い目で見てメリットがあると思いました。
東京は分母が多い分、楽しそうな仕事、理想的な業務形態の企業に色々出会えました。
実際に愛媛と東京で転職活動をしてみて、東京は内定率が圧倒的に高く、今後の拠点としてメリットがあると感じたからです。
もう30歳ですが、まだ30歳。
まだ若いと言える今、選択肢が多くキャリア形成がしやすい首都圏に住むという道を選ぶことにしました。
大手食品業界が合わなくなっていったから
人生の方針として、自分自身で人生をコントロールしていきたく、それが食品業界だと難しいと考えたからです。
前職の食品業界は巨大な工場や資本・信用を持っている企業が圧倒的に多く、古い体制の企業がほとんどです。
そのため新規参入が難しい業界で、安定はしているものの、社内でのキャリアアップは終身雇用前提の年功序列しかありません。
私は年功序列や終身雇用について、否定するつもりは全くありません。
むしろ社員を大切にする会社は安心感をもって働けますし、人生のフェーズによって安定を重視する人も多いはず。
ずっと同じ会社で働きたいのであれば本当にいい選択肢だとも思います。
ですが、私たち2~30代は、人口減少によって年寄りを支える役割になっており、年功序列だと割を食う世代であるというのもまぎれもない事実です。
高度経済成長期にできた終身雇用と年功序列は、セットで考えられた制度です。
グラフの通りですが、お金とキャリアの面で見ると、若いうちの生産性が一番高い時に割を食って、年を取った後にその代償として得をして、つじつまが合うのです。
安定という面では何もしなくても給与・ポジションが伸びていく制度ですが、これが途中で崩壊すると資産形成のダメージがでかいのは若手です。特に変革期の30代。
現に我々若い世代は、私たちより給与たくさんもらってる働かないおじさん、いっぱい見てますよね。
前職はいい職場ではあったものの、年功序列の影響か、私もたくさん見てきました。
(業務中寝てる人、パソコン触ってるふりしている人、やる気がない人)
もちろん企業や職種にもよりますが、私が見てきた食品業界は、努力・結果よりも年齢・ポジションで給与が決まるので、自分の努力は比較的報われにくいです。
学生のモラトリアム気分が続いている最初の数年は、楽で安定している職種は最高でした。
しかし450万の奨学金を抱えて本当に苦しかったことや、自由に生きている友人・家族の影響もあって、自分の人生を本気で見つめなおし、自分で稼ぐ力を付けて豊かに生きることが、自由の本質であることと思うようになりました。
自立していくマインドがないと、自分も働かないおじさんと同じになり、経済的にも精神的にも30代以降は生きづらくなっていくと私は考えています。
その分競争も激しく、通常の業界より自分で学び続ける努力が必要です。
何もしなければお金は入らず、すぐに自分のスキルが陳腐化していきます。
ただ私が継続的にコツコツ続けることが比較的できるタイプで、なにより新しい技術が好きなので、少なくともこの業界は不向きではないと自己分析しています。
IT業界がそうとは言えませんが、比較的食品よりも若い人にチャンスがあり、キャリアもコントロールしやすいと思います。
そして本業でやっているスキルを掛け算にして、個人で事業所得を得ることも他の業界よりしやすいです。
そんなこんなで、会社への依存度がどうしても高くなってしまう構造の食品業界では自己実現が難しいと考え、去ることにしました。
伸びている都市の方がチャンスがあると思ったから
シンプルに、伸びている都市の方が、やはり稼ぐという面においては有利だからです。
- 「年収は「住むところ」で決まる」:「イノベーション都市シアトルに住む高卒の方が、製造業都市デトロイトに住む大卒より給与が高い」
- 「バビロンの大富豪」:「よきところに住め」
- 「時間とムダの科学」:「一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの方法でしか人間は変わらない。」
当たり前ですが、大企業が並ぶ首都圏ではそれだけ多くのお金が動きます。
そして人も集まり稼げる人が増え、子供を持てるようになります。
つまり、人口が増加している場所は、それだけ経済が発展するので、稼げるチャンスも多いということです。
少し古い都道府県別の人口推移データですが、この十年で増えるのは実際に東京だけです。
地元は魅力的な場所ではありますが、やはり改めて東京の活気は圧倒的で勝てません。
そして優秀な人が集まる環境ほど、自分自身も成長しやすいです。
自分もそのルールに乗っ取って、若いうちに成長都市の恩恵を受けようと考えました。
とはいえ、経済的な視点がすべてではありません。
そしてこれは、あくまでこれはマクロの視点であって、個人レベルだと田舎でもまだまだ稼げると思います。
(競争率が低い、固定費安いのでつぶれにくい、WEBを使えば集客できるし都会の人と仕事できるなど)
そしてどこに住むかよりも、何をしたいのかの方が人生においては圧倒的に大事と考えます。
ただ私は、リスクをとれる若いうちは、いったん資本主義の現場に近づいて、より経済的に有利なポジションを取ろうと考えました。
死ぬまでに一度都会に住んでみたかった
私の死ぬまでのやりたいことリストに「東京に住む」があったからです。
なぜなら学生時代に東京に行けなかったことを、ずっと引きずっていたからです。
東京の大学受験に落ちて、再挑戦しなかったことことをずっと悔いていまいた。
いま31歳ですが、大学を入学してから現在まで、東京の大学に合格するために勉強する夢を何度も何度も見て、朝起きるたび憂鬱になっていました。
進撃の巨人ネタで申し訳ないのですが、目的を達成したいエレンが非情な決断ができない父を追い詰めるように、私もずっともう一人の自分が自分を追い詰めてくるような夢を見ていました。
過去の目標を達成せず、今の安定した現状に甘んじている自分に対して、
「お前なにやってんの?」
と過去の自分が語りかけてきます。
過去に執着している、本当に恥ずかしい人間です。。
こうなった経緯は、こじれた高校生自体にあります。
家族や愛媛を離れたくて、なんとなく東京海洋大学のオープンキャンパスに行ったとき、大都会のスケールに衝撃を受けました。
巨大なビル、溢れる人々、電車の数など、すべてが刺激的で、東京に行くことを目指すきっかけになりました。
それ以来、部活もやめて、健康的な食事(時間捻出のため外食)、学校行事を犠牲にして、勉強に専念しました。
私は生まれつき虚弱で、頭がよくないことをよく知っていたので、周りと同じではダメだと思ったからです
しかし、クラスの落ちこぼれから最高学年4位まで成績を上げたものの、志望校には届かず不合格。
しばらく手足が震えたり、一日中ベッドから起き上がれなかったり、本当にショックでした。
そして、1年浪人する勇気も、気力も残っていませんでした。
結局、他の大学に進学しましたが、1年目は虚無感に包まれていました。
ずっと転校を考えて涙する日々が続きましたが、ギターに出会い、その後は没頭することで少しずつ心を取り戻しました。
気が付けば卒業し、条件の良い地元企業に就職しました。
が、やはり東京で挑戦したいという思いが捨てられず、転職することにしました。
今は都会がキラキラした場所では全くない、と思います。
しかし、田舎しか経験していない自分は死ぬまでにどうしても都会に住むことを経験してみたかったのです。
ここまで多くの決断と積み上げが必要でしたが、なんとか学生時代の少年の夢をかなえることができました!
愛媛に帰ってきてよかったこと
地元は出たものの、いっぱいメリットもありました!!
サッと振り返っていきます。
- 家族と大人としてかかわることができた
- おいの成長を見れた
- 車に乗れた
- 貯金できた
- 家賃が安すぎる
- 自然をすぐ楽しめた
家族と大人としてかかわることができた
親も未完成な大人です。
子供の時は分かりませんでしたが、親としてではなく一人の人間として理解、会話できるようになりました。
祖母に育てられたようなものなので、両親と過ごした思い出があんまりなかったです。
当時の公務員や企業の就業状態は法律ガン無視で夜遅くまで働くのが常識だったので、仕方ないですよね。
親も子3人育てるので本当必死だったと思います。
なので家族とのんびり過ごす楽しさをあんまり知らなかったのですが、大人になってやっと一緒に過ごすことの心地よさ・楽しさを知ることができました。
放置されてはいましたが、愛されていたことを知りました。
また親に加えて、祖母祖父や姉妹、親戚のことも、親族の人生を知る機会が増え、大人になっていろいろな景観をしたからこそ、共感したり尊敬したりできるようになりました。
慕ってくれる家族の元の離れるのは、個人的に心苦しかったです。。
おいの成長を見れた
赤ちゃんの時から10年近くで見てたので、一部ですが子育ての大変さや素晴らしさを知りました。
家族が増える感じってこんな感じなんかなぁ。
車に乗れた
地元の道を車で走ると、大人になった気分になれます。
そして自分とマシンと一体化した感じ、最高に気持ちいいです。
貯金できた
コツコツ貯めて投資して、無駄な支出はは一切抑えて、加えて副業もしてたので8桁以上の資産を保有できました。
精神的余裕が生まれて挑戦しやすいし、働けなくなってもしばらくは生きれます。
会社に近くて安い広い家に住めた
会社近くに1LDK約50㎡に5万(家賃補助で2万5千円)で住めた。最高の一人暮らしだった。。
自然をすぐ楽しめた
キャンプ・海・川・登山など、お金を掛けずアウトドアを楽しめました!
特に滑川という場所が本当に好きで、車のタイヤがパンクするほどに行きました!
愛媛で感じたデメリット
- 仕事が少ない
- 実家は想像以上に退屈
- 車が必須で高い
- 出会いがない
- 四国を出るハードルが高い
仕事が少ない
これは上記で話した内容です。
田舎サラリーマンのキャリア形成は「地元限定」という縛りプレイになり、転職前提の世の中で難易度正直かなり高いです。
実家は想像以上に退屈
帰省は県外民にとってイベントかもしれませんが、実家に帰ってくると特別感はありません。
結局、やることがないのでテレビをぼんやり見たり、結局PC触ったりします。
車が必須で高い
愛媛は電車が海沿いに走っているので、街の中心部へ行くような電車がありません。
スーパーも離れており、イオンや飲食店など大型施設に行こうと思うと乗り物が必須です。
車体、ローン、税金、駐車場代、ガソリン代など考えると、平均して月5~6万はかかります。
出会いがない
大学の友達とはなかなか会えませんし、案外地元の友達もいません。
またその中で価値観のあった人となると、さらに難易度も高い!
仕事関係もそうで、愛媛で開催されるITイベントが少なく、エンジニア系のイベントはほとんどないです。
恋愛に関しても同じです。マッチングアプリも昔やりましたが、共通の知り合いが多くて笑いました。
四国を出るハードルが高い
車で中国地方に出ようにもしまなみが案外高く、5000円以上かかります。
空路航路も同じくアクセスが悪い。
東京行のジェットスターは成田で遠いし、大阪はフェリーがありますが一晩かかります。
九州に行こうと思ったら船がフェリーですが、どちらも5時間から一晩はかかります。
お金使わなくてよくなったのはよかったけど、もう周辺は遊びつくしたよ!!
まとめ
結論:いい意味でも悪い意味でも、学生時代の地元ではない
Uターン就職した6年を振り返ると、地元はかつての自分が知っている場所ではなく、良くも悪くも変わっています。
みな学生時代の地元をイメージして帰ってくると思いますが、サラリーマンとして働く地元はまた違います。
親・親族もどんどん年を取るし、友達も大事なものがそれぞれ変わっている。
地元の風景もどんどん変わって、過疎化が進んでいっている。
懐かしさはありますが、昔と同じではなく、環境や人が変わり、自分自身も成長したことで、以前のように完全にはなじまなくなっていると感じる部分もあります。
昔のままの部分もあるけれど、あの頃の地元とは別物になっているふるさとを楽しめるかどうか。
これがUターン就職の生き方を楽しむコツではないかと思います。
学生時代に感じていたものとは違い、大人になった今の自分には別の視点で見えてくる部分も多くあります。
それでも、地元で過ごした時間には多くの学びや貴重な体験がありました。
家族を大事に思えたり、自然が好きで植物にハマったり、地元の友達に会えたり。
個人的ですが、私は場所そのものよりも、人あっての場所に愛があるので、愛媛県という土地自体にそこまで執着がありません。
結局、今の私はやりたいことをやってから死にたいという生き方に筋を通すことにしました。
なので、後悔しないよう目標達成のために行動・挑戦してみることを選択した、ということです。
この選択が正解なのか、それとも地獄なのか、進み続けてみないとわかりません。
でも自分の壁をひとつ越えれるのは、確かです。
地元のぬくもりや安定を手放してでも、都会で新しいことに挑戦することで、自分の可能性を広げたいと強く思います。
自分を使って人生を掛けた仮説検証をしてみます!
追記
都会に浮かれて、さっそく上京初日に六本木ヒルズの展望台でディナーを食べました。
料理名がオシャレ過ぎて、なにいってるのか全然頭に入ってきませんでした。
東京すげー!😂(田舎者)
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